今回最初のボランテア旅行は、飢餓対策機構や地元教会のボランテアの方々と合流しての協力活動で、各被災地の訪問、仮設住宅で皆さんから愛を込めて作っていただいたパッチワーク袋のお届け、炊き出し、傾聴など、多くの活動で満ちていた。 神様の愛に支えられた素晴らしいボランテア精神と地元の方々との交流で、忘れることが出来ない思い出の旅行となった。 ボランテア最後の日は、今までに教会の全く無かった志津川に新しく建つ教会や教会のキャンプ場予定地を訪問し、草取りなどの作業をさせていただいた。雑草取りは、雑草がとても元気に育っていたのと、畑での労働に慣れてないせいでくたくただったが、この教会を立てる経緯や将来の計画を教えていただいていたのと、皆さんと一緒の労働だったので、楽しい汗だった。 その後、南三陸町の被災地を回った。なぜかこの被災地は、私の心に生なましく映った。他の被災地と同じように瓦礫は綺麗に撤去され、建物のコンクリートの土台だけが残っていた。他の場所と特に変わった様子はなかったが、この地区に近づいたとき、主イエスは、被災跡をみるのに心を捕らわれている私の心の目を開いて、こう語られた。「これらの場所は、年月が建てばいずれは跡かたも無くすべて修復されるだろう。でも、人の心はどうなんだろう。人の心もこれらの残骸や瓦礫のようにズタズタではないのか。いったい誰がこの人たちの心の痛みや傷を知り、癒すことができるのだろうか。」と。 暫くするとバンが止まり、休憩で降りた場所が、Youtubeで出ていたが、若い女性が役場の2階からマイクで、皆さんに逃げるように、命を賭けて最後まで訴えていた場所だった。 その建物の残骸を目の当たりにして、ただ、たたずんでいた。 暫くして、疲れていたので近くの水溜りのそばに腰を下ろし、ぼんやりと周りの被災跡を見回していた。すると遠くに山のように積み上げられた瓦礫の山が目に飛び込んできた。 なんと物凄い瓦礫の山だ、、、当初の被害はどんなにひどかったものだろうかと思い巡らしていると、疲れていたせいなのか、とても悲観的な考えになってきた。 こんな小さな私にいったい何ができるのだろうか。 このボランテア旅行でいったい何ができたのだろうか。 いったい一人の人間に何ができるのだろうか、、、。 自分がとっても小さくて無意味な存在に感じられてきた。 すると、突如、どこからか、気だるく、重苦しい、陰気さをまとった霊が、私の頭上のすぐ右手方向から、こぶしぐらいの大きさで、黒っぽい形のないものとして、私の方へ忍びよってくるのが霊的に見えた。 なにか以前見覚えのあるような、と思うと同時に、今、被災者の方々はこんな絶望感に苛まれておられるのだろうか。 こんな重苦しい霊の影響下におられるのだろうか。 だとしたらこれはいけない。 これらの考えが一瞬のうちに流れた。 そして、嫌だ!こんな霊の影響下に、、嫌だ!と、思ったその瞬間、私のなかに歌が流れてきた。 "人に~出来ないことが、神様にはできる~、信じ~るこころに、奇跡がおこる~♪” 私のオリジナル曲の一節で、聖書の句だった。 そこで我に返った。 そうだ、そのとおり。神様にはできる。一瞬にして、その暗い陰気さは逃げ去り、再び明るい喜びと希望が戻ってきた。 イエスは言われた。"人に出来ないことが、神にはできるのです。”(ルカ18章27節)
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日本へ初めてVounteerにいってきました。とても意味深い旅行となりました。
切っ掛け:母の様態が悪化したので帰国予定を立てていたら、丁度同じぐらいの日程で 東北Volunteerの話があり参加することにしました。ところが、出発一週間前に突然母の死を聞かされ、愕然としてしまいました。しかしながら、主からの人知を超えた平安と慰めで予定通り出発することができました。 ”眠った人々のことについては、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなた方が他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。”(第一テサロニケ、4章13、14節) 母は65歳ごろからアルゼハイマーの兆候がでて、病状が急速に進み、長い間看護施設に入っていました。そんな中で、母は奇跡的に救われ、イエスキリストを受け入れてからまた元の状態へと戻っていきました。数年後、帰省したときには、母は寝たきりになっていて、喋ることもできず、私は心の中で母のお葬式をしました。今回は、母の昇天を覚悟していましたが、実際、やはりこの世での別れは辛いものでした。また、15歳の愛犬も母より2週間前に亡くなり、死という別れにについて深く考えさせられ、また痛み悲しい月でした。母や犬にとっては、やっと、病という痛みから解放されて幸せなのに、残されたものが悲しいんですよね。本当に今与えていただいているものを感謝して、悔いのないように、いや、悔やまないように、生きていかなければいけないのですね。主にあって、この悲しみは次第に思い出となり、絶望的でないのが本当に感謝です。 そんな中、Volunteerにいってきましたが、私のお母さんに沢山出会ってきたような感じがしました。傾聴して慰める立場の私でしたが、涙がこみ上げてきて、ときどき制することができませんでした。あるおばあちゃんは、涙ながらに私の手を握り、何度も何度も"娘の死は、無駄ではなかったんですよね”と訊かれ、またあるおばあちゃんは、"後ろにおばあちゃんが逃げ走ってたけど、私は自分が逃げるのに精一杯で、後ろを見たときは彼女はもういなかった、、。沈黙の後、彼女はポツンといいました。"悲観的に考えちゃいけないんですよね、、、こんなことがあってから初めて天地を造られた神様がいるんではないかと思うようになりました、、”と、彼女たちの気持ちがよく伝わってきました。私も自分に言ってるかのように、"彼女の死は決して無駄ではなかったですよ”、と、"私達は彼女の分まで、また、亡くなった方々全員のために生きるんですよ”と、そんな言葉が口をついて出てきた。 |
Author 恵利子モア、ケンタッキー在住。イエスキリストを救い主を受け入れ、救われてからピアノを始め、賛美を通して心のうつから癒される。御ことばによる祈りによって、バセドウの病気とそれに伴う精神症状から解放される。 Archives
October 2021
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